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2007/11/15//Thu * 17:17
○ 【諏訪七廻行記】 旧下社御射山社(旧御射山遺跡・諏訪大社下社奥宮)

さて、ビーナスラインから八島ヶ原湿原の方へ行くと旧御射山社がある。
と事前に岳州氏に情報をいただいたのですが、はてさて、時間も押しているし(誰のせいだ)どうしよう?ということになりました。
とりあえず場所がわからなかったらスルーしようという話になり、マップルを頼りに八島ヶ原高原への道を進みます。

しばらく走ったところ、どうやら入り口を見逃した様子。
Uターンしながら「こりゃ見つからないよ」と諦めかけていると入り口を発見してしまいました。

いつしか砂利道になっているススキ野原の真ん中で見つけました。


ところで穂屋野の三光ってどの御射山社で見られたんでしょうか。
あ、時期がいっしょならどこでも同じかな?

諏訪下社七不思議【穂屋野の三光】
suwa_239.jpg suwa_240.jpg
長野県史跡 御射山遺跡
指定昭和三十七年七月十二日
ここは諏訪神社下社の御射山祭御狩神事が行なわれたところである。御射山社祭はいつごろから始められたか不明であるが平安時代から特に鎌倉時代を全盛とし元禄年間まで行なわれてきた。
祭事は毎年七月二十六日から二十九日まで行なわれ信濃の豪族が交替で御頭をつとめ神官は新しく造られた祭事用の穂屋にこもり豊作を祈った。
それと同時に信濃の氏人が騎射等の技を競って諏訪明神に奉納した。旧図にもあるように周囲の丘には鎌倉幕府の将軍や歴将の桟敷跡が今も土壇として残っている。当時の御射山社祭をしのぶ和歌として次の一首がある。
 をばなふくほやのめぐりの一むらに
  しばし里あり秋のみさ山 金刺盛久
この祭りも室町時代中期下社大祝金刺氏の滅亡とともに衰微し御射山も江戸初期に移転したためこの地は旧御射山と呼ばれるようになった。
昭和五十七年三月
長野県教育委員会
案内板より

上の句は
(ススキの)雄花葺く穂屋の廻りの一叢に
といったところでしょうか。っていうか見たまんまの歌。

suwa_241.jpg suwa_242.jpg
一面ススキ野原では桟敷跡の土壇なんかわかりません。
あ、社発見。

suwa_031.jpg suwa_243.jpg
多分「元御射山社」って書いてあります。

suwa_244.jpg suwa_245.jpg
御射山社講武之跡。

suwa_246.jpg
ススキ野原を登ったり降りたり。

suwa_247.jpg
三光のうちの一、日光。

suwa_248.jpg
一番下の方。

suwa_249.jpg suwa_250.jpg
川をはさんで御射山ビジターセンター。車が入ってきているところを見ると別ルートもあるのでしょう。

参考:http://genjin.cool.ne.jp/simosya/motomisayama.htm
   http://genjin.cool.ne.jp/simosya/misayama.htmHP
関連:贄符「御射山御狩神事」



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